Orchestra "Do Svidanya"

おーけすとら・だすびだーにゃ ほーむぺーじ

だんちょーの思ひ

私たちオーケストラ・ダスビダーニャは、1991年、旧ソヴィエト連邦に生きた偉大な作曲家、D. ショスタコーヴィチの交響曲第7番『レニングラード』を演奏するために、いわゆる「一発オケ」として結成されました。一発オケではありましたが、できれば継続したいという祈り…と言うより意地を込めて、1993年に実現した『レニングラード』のコンサートは「第1回定期演奏会」と銘打ちました。 「ダスビダーニャ」という団名も、不確かなロシア語の知識で「こんにちは」か「ありがとう」、とにかくポジティブな意味だったはずと思い込んで命名しましたが、実は「さようなら」であることを後日知り、慌てて「また会いましょう」という意味だとPRしました。当時の紹介文には、「ショスタコーヴィチに敬意を払いつつ、団員同士が、また、コンサートに来て下さった聴衆の方々と私たちとが、また会えますようにという願いを込めて名付けた」と、後付けをしたものです。  ショスタコーヴィチの音楽は、その大半が旧ソヴィエト連邦のスターリン独裁政権下で書かれ、沈黙を強いられた自身や同時代の人々に代わって、雄弁なメッセージを放っています。そのメッセージは、(私見ですが)、あらゆる形の巨悪・暴力をえぐり出し、そして、そのような暴力に威嚇されながらも人間性を保ち、自分らしい人生を全うすることを訴えかけてくるように感じます。  今でこそショスタコーヴィチがコンサートで取り上げられる機会は増えてきましたが、結成当時は、第5交響曲と『祝典序曲』以外は全くと言っていいほど演奏されることはありませんでした。演奏上の物理的な理由もさることながら、難解なイメージが先行して“聴かず嫌い”の人が多かったと思います。  そのような中、彼の『レニングラード』を演奏したいという人が集まってコンサートを開き、そして、何とか2回目につなげ、3回、4回…と活動を重ね、いつしか20年を迎えました。    私たちは、単に交響曲をシリーズ的に取り上げたり、珍曲の日本初演を果たしたりすればいいとは思っていません。コンサートは、何かの記録に挑戦するための場ではありません。素晴らしい音楽作品の真摯な生演奏を、客席と舞台が一緒に楽しんで感動する場だと思います。ですから、いわゆる「耳の超えた人」からお褒め頂くこともさることながら、クラシック音楽には馴染みが無い、ショスタコーヴィチなんてその名前すら聞いたことが無いという方から、私たちダスビのコンサートの後に「今日からショスタコ・ファンになりました」と言って頂けることが、天にも昇るほどの幸せです。 全く先の読めない1回目の『レニングラード』の練習から20年間、愛情と忍耐で私たちを御指導下さった常任指揮者、長田雅人(おさだ まさひと)先生の功績は、ダスビの歴史を語る上で避けて通ることはできません。   が、長田先生に指揮をお願いした当初、彼は決してショスタコーヴィチをレパートリーとする有名人…というわけではありませんでした。熱烈なショスタコーヴィチ愛好家である私たちの前にショスタコーヴィチの大家が指揮台に立てば、絶対にケンカになると考えました。また、普段の練習はお弟子さんに任せて、御自身は1、2回しか稽古をつけない有名な巨匠よりも、とことんダスビのために時間を割いて頂ける若手のほうが、彼の中でダスビをナンバーワンに位置付けて頂ける可能性が高いと読みました。 それで、当時の若手だった長田先生に白羽の矢を立てた…と申せば失礼かも知れませんが、私は、読みが大当たりしたと自負しています。  かなりテマエミソなオケ紹介ではありますが、皆様も、ぜひ一度(とは言わず何度でも)「オサダスビのショスタコ・サウンド」を体験しにいらっしゃいませんか?  それではコンサート・ホールでお待ちしております。        オーケストラ・ダスビダーニャ前団長  白川悟志