オーケストラ・ダスビダーニャ 第30回定期演奏会 日 時:2024年2月12日(月・祝) 12:30開場/13:30開演 会 場:東京芸術劇場コンサートホール 演奏曲目:D.ショスタコーヴィチ作曲 祝典序曲 作品96 オペレッタ「モスクワ・チェリョームシキ」による組曲 作品105a 交響曲第7番 作品60「レニングラード」 演 奏:オーケストラ・ダスビダーニャ 指 揮:長田 雅人 全席指定 ¥2,000-(電子チケット teket) https://teket.jp/2487/28420 |
【お問い合わせ】オーケストラ・ダスビダーニャ事務局
info@dasubi.org
TEL : 050-6873-6714
1991年帰国、同年7月NHKホールで開かれた青少年音楽祭においてジュネス・マンドリンオーケストラを指揮。現在までに、仙台フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団他、全国各地のオーケストラに客演。東京室内歌劇場において若杉弘氏のアシスタントを務め「魔笛」、「ロング・クリスマス・ディナー」等の公演を指揮した。東京アカデミー合唱団においては秋山和慶、大野和士、大友直人氏らのアシスタント(合唱指揮者)を努める。
1993年より世田谷フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者を務め、1998-2001年音楽監督を務める。その間、定期公演、世田谷区の学校依頼演奏、バレエ「白鳥の湖」全曲公演、数々の公演を指揮。
旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの作品を演奏し続けるオーケストラ・ダスビダーニャにおいては創団依頼の全公演を指揮、数々の管弦楽作品の日本初演も果たす。
1994年、ジュネーブ国際コンクール・指揮部門において世界予選を通過しジュネーブ審査会に出場。同年フランスのドゥーエ市において開かれた「若い音楽家のための国際コンクール(審査委員長/ジョルジュ・プレートル氏)」において入賞を果たした。
また、ミュージカル、CM等にも活動を広げ、1996年以来、東宝制作ミュージカル「シー・ラヴズ・ミー」「南太平洋」の全公演、また名古屋歌劇団ミュージカル等を指揮する。
2001年、オペラ「智恵子抄」を指揮。
2003年、品川教会においてラトビア人作曲家ルーツィア・ガルータ作曲、カンタータ「主よ、あなたの大地は燃えている」の日本初演を指揮した。
2004年2月、オーケストラ・ニッポニカの演奏による、作曲家伊福部昭氏文化功労者顕彰祝賀コンサートを指揮した。
2004年10月、ベトナム(ハノイ)にてベトナム国立交響楽団の特別コンサートを指揮。2005年には同オーケストラ定期公演を指揮、ベトナムデビューを飾った。
これまで東京シティフィルハーモニー、大阪シンフォニカー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、オーケストラ・ニッポニカ、KTS(鹿児島放送)室内オーケストラ等、仙台ニューフィルハーモニー、甲府室内合奏団、多数のオーケストラに客演。
現在、オーケストラ・ダスビダーニャ常任指揮者、相模女子大学管弦楽団指揮者、早稲田、慶應両大学合同マンドリンオーケストラ指揮者、ホテルオークラ第九公演合唱指揮者、東京アカデミー合唱団指導者、昭和女子大学オープンカレッジ講師を務める。
/
SCHOSTAKOVICHの基礎知識
作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチは1906年、ペトログラード(現在のペテルスブルク)生まれ(1975年没)。
スターリン時代のソ連に生き、「大粛清」の恐怖と闘いながらも、15の交響曲の他、協奏曲、室内楽、オペラと多数の作品を残す。多くの作品で、彼が扱ったテーマは「死の恐怖」であり、「自由を奪われた人民の苦悩」であった。
1931年、オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』がプラウダ(ソ連共産党機関誌)誌面で批判され「人民の敵」というレッテルを貼られるが、社会主義リアリズムに立って『交響曲第5番』を作曲、名誉を回復した。1948年にも「ジダーノフ批判」(言論統制キャンペーン)という苦難が降りかかるが、カンタータ『森の歌』(スターリンの植林政策を賛美するゴマスリ作品)を作曲して、名誉回復。
こうしたいきさつから、「ショスタコーヴィチ=共産党に従順な共産主義者」と信じられてきたが、1979年に出版された書物『ショスタコーヴィチの証言』(音楽学者ソロモン・ヴォルコフ編)では、彼がスターリン時代のソ連においていかに苦悩し、「己を捨てて」作曲活動を続けてきたかが、語られている。つまり彼は、表向きは「体制派」だったが、実際は逆のスタンスをとり続けながら、ソ連の体制を批判していたのである。
『ショスタコーヴィチの証言』の中で、ショスタコーヴィチは指揮者・ムラヴィンスキーのことをこう語っている。
「…私の最大の理解者を自負していたムラヴィンスキーが、私の音楽を理解していないのを知って、私は愕然とした。私が、交響曲第5番の終楽章で歓喜のフィナーレを書こうとしたが、できなかった、と彼は思っていたのである。私は『歓喜のフィナーレ』など考えたこともないのだ。どんな歓喜があると言うのだ。あの曲の終楽章は『強制された歓喜』なのだ。『おまえの仕事は喜ぶことだ』と命令され、『そうだ、おれたちの仕事は喜ぶことなのだ』とつぶやきながら行進を始めるようなものなのだ…」
ただし、『ショスタコーヴィチの証言』は、従来までのショスタコーヴィチの評価とあまりにかけ離れていたため、出版当初から「偽書ではないか?」という疑いが持たれており、謎は深まるばかりである。息子マキシム・ショスタコーヴィチ(ピアニスト・後に指揮者に転向してアメリカに亡命)は、この『証言』について、「これはショスタコーヴィチの書物ではなく、ショスタコーヴィチに関する書物であるが、彼の生きた時代の状況を正確に反映している」と語っている。
《短編小説》タバリーシチ・ダスビダーニャの証言
〜〜塩下公一より愛を込めて〜〜
バビ・ヤールの呪い(作:蜂矢鳥庵@B.Trb)
ショスタコーヴィチの教え子達(作:菊地@外渉)
《長編小説》夜明けの塩酸ピリドキシン(作:おさだまさひと@cond)
交響曲第4番のディスコグラフィー(作:わし@Trb)
歴代プログラムコレクション
(作:変酋長@ばよりん)
猿岩石に負けないっ!ロシア滞在日記(作:おーさか@Ob)
「ダスビダーニャ」に望むこと(寄稿:金子建志)
ダスビダーニャ素描(読み人知らず)
はじめに・・・
ダスビダーニャの活動は、「音楽団体である前に、趣味の団体だ」というスタンスに立っています。趣味の活動である以上、団員各人が仕事や家庭といった他に優先しなければならないものを持っているし、生活の中でのオケ活動の位置づけ、ダスビの位置づけ、あるいは楽器の技術、音楽観…が各団員によってマチマチだというのが現実です。その現実を素直に受け入れないと、自分たちにとってオケ活動が負担になり、良い演奏ができないだけでなく、団体そのものの維持ができなくなります。
私たちアマチュアのオケマンは、時間的、物理的、経済的に大きな制約を受ける中、各自様々な工夫をして楽器の練習や楽曲の勉強をしております。特に「役員」と呼ばれる運営担当者たちは、さらにその合間を縫って煩雑で膨大な量の事務作業をこなしております。事務作業をするために、会社に気まずい思いをしながら有給休暇を取ったり、正月を返上したり、徹夜が続いたりすることも珍しくありません。
舞台の上で演奏をしている2時間だけが私たちの姿ではないです。むしろ、舞台に上がるまで、そして、舞台を下りてからの長い長い時間が、“素”の私たちの姿だと思います。「趣味でオーケストラをやっている」というと、何か特別な教育を受けた人、特別な才能のある人、とにかく一般人とはちがう人…というイメージがあるかも知れませんが、全くそんなことはありません。どなたでも興味を惹かれるもの、余暇にリフレッシュできるもの(でも他人からは「なんでこんな大変なことをやってるんだろ?」と不可解に思われるもの)をお持ちだと思いますが、それが私たちにとってはオーケストラだったというだけのことなのです。
──とまえおきして、これまでにアンケートや問い合わせで頂いた御質問の中で、特に多いものについて、この場でお答えしようと思います。
「オーケストラ・ダスビダーニャ」の団名の由来は?
ショスタコーヴィチの15の交響曲をひと通り演奏したら、次はどうするの?
5番、『森の歌』はいつ演奏するの?
ダスビの「選曲会議」ってどんな感じ?
コンサートを年2回に増やせない?
舞台配置図にある「アシスト」って何?
「替え楽器」ってなあに?
今「コール・ダスビダーニャ」の活動はどうなってるの?
楽譜はどうやって調達するの?他所にも貸してもらえるの?
特殊な打楽器の手配はどうやってるの?
指揮者はなぜ必要なの?
コンマスって何するひと?
曲目表記にこだわりがあるの?
売り切れた過去の演奏会のCDは再販しないの?
ダスビダーニャで、わたしも演奏したいんだけど・・・
]]>Q.「オーケストラ・ダスビダーニャ」の団名の由来は?
A.「ダ スヴィダーニャ」はロシア語で「また会いましょう」という意味。元々は10年前に『レニングラード』を演奏するために結成されたいわゆる“一発オケ”でしたが、メンバー同士の、また、聴きに来て下さった方々との再会を願って名付けられました。…というのが表向きの由来ですが、実際は、居酒屋で「タコ7やりてぇな〜」「一発オケ作ってコンサート開いちゃうってか」「オーケストラ・ダスビダーニャ…なんちゃってな」「ヨシ、それで行こ」と、たまたま知ってたロシア語を出したら、オケの名前からコンサートの開催まで、全て酒の勢いで決まっちゃったのです(ついでに、トイレに中座して戻ってきた時には団長に就任してた)。なお、聞き慣れないロシア語の名前を付けたせいで、練習場の予約の電話口では、「段ボールのダ、寿司のス、ビールのビ…」と団体名を告げるのに苦労したあげく、練習場の入口には、「オーケストラ・タスピターニャ」(ちゃんと聞き取らんかい)、「オーケストラ・ダスラダーラ」(インドの修行僧か)、「オーケストラ・ダンボール」そんなオケあるかボケェ!)等々、いろんな似て非なる名前を掲げられてきました。
(by だんちょー)
目次に戻る
Q.ショスタコーヴィチの15の交響曲をひと通り演奏したら、次はどうするの?
A.そもそも、ショスタコーヴィチの全交響曲を演奏するという目標は、“団としては”持っていません(団員が個人的にそういう目標を持ち、その立場から選曲会議で発言することはよくあります)。趣味の団体にとって、ショスタコ全交響曲制覇という長期的な大事業は、ノルマとして重圧になってしまうのです。そして、各団員の個人的事情、各曲の物理的条件、その時の団内での盛り上がり等々が複雑に絡み、“今やりたい曲”“今はできない曲”というのが現実に出てきます。そういう現実を無視して淡々と全交響曲を取り上げていこうとすると、今は十分に熱意を持って取り組めない曲を取り上げたり、消化試合的なコンサートを開いたりしなければならなくなります。同様の理由で、ショスタコーヴィチの曲しか演奏しないという決め事もありません。常に“今一番やりたい曲”を地道に演奏し続け、その結果として、いつしか「ダスビのショスタコ全集」という“夢”──目標やノルマではなく──が実現できれば素敵だ、というのが、十人十色の全ダスバーの最大共通項です。
(by だんちょー)
目次に戻る
Q.5番、『森の歌』はいつ演奏するの?
A.前問でほぼお答えできていると思いますが、交響曲第5番については、音楽愛好家なら誰でも知っている曲なので、「さすがダスビの5番はちがう!」と言わせるだけの演奏をする自信がまだ無い、という理由もあります。「ダスビにとって、5番なんかバカらしくて演奏できないんじゃないか」という噂も聞きますが、決してそんなことはありません。5番も大変難しい曲だし、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも15本の指に入る傑作だと思います(^o^)。一方、『森の歌』は、児童合唱が要求されていて、成人の混声合唱の編成以上に運営上の困難を伴う曲です。5番も『森の歌』も、毎年選曲会議でかなりの上位まで残りますが、いつもあと一歩の所で落選します(選曲会議では、『おふくろさん』や『先生』辺りをオーケストレーションし、交響組曲『“森”の歌』として演奏するのはどうかとの意見も出されたが、淡々と否決された)。興味のある方は、ぜひ選曲会議の見学にお越し下さい。
(by だんちょー)
補足:次回演奏会では、第5番が選曲されました
目次に戻る
Q.ダスビの「選曲会議」ってどんな感じ?
A.ダスビの選曲会議の表記は「戦局会議」とされています。一生に一度できるかどうか判らない曲が候補に上がるため、出席者はみな真剣で、まさに“戦い”と言っても過言ではありません。毎年5月のメインプロの選定から始まり、全曲の決定は7月頃です。そこには、CDとスコアを手にした戦士たちが集います。そして戦場ではCDが唸りを上げ、戦闘が始まります(時として、選曲を忘れて浸ってしまい、休戦することもあります)。
作曲家の名前はほとんど登場しません。いきなり「何番がいい」とかいう展開になります(局地戦なのです)。この段階で選曲時間は大幅に短縮されているハズなのですが、なぜか長期戦を強いられます。数々の戦術をもって2ヶ月間戦闘を繰り返しますが、最後には終結します。その暁には、決定された作品に敬意を払い、一本締めで華々しく締めくくられます。
但し一旦戦いが終わったあとは、昨日の敵は今日の友よろしく、皆嬉々として練習に励むのが特徴です。そう、いずれにしても愛すべきショスタコだからです。その意味では選曲というより、今回は何番をやるかという“曲順”会議の色合いが濃いかもしれません。
会議の基本方針は「やりたいときに、やりたい曲を!」ですが、実際ショスタコの作品以外に他の作曲家が取り上げられることは稀です。今回、7年ぶりに“他の作曲家”が取り上げられました(それでもやっとモソロフです)。…将来ブラームスが取り上げられたとき、貴方は聴きにいらっしゃいますか??(by いんぺく)
目次に戻る
Q.コンサートを年2回に増やせない?
A.たかがアマオケごときのコンサートに、こんなに嬉しい御要望は他にありません。が、やはり無理はできません。他のアマオケさんは年に2回、3回とコンサートを開いておられますが、実は、いろんな団体に掛け持ちで参加するというのが、今のアマオケ活動の実態なのです(中には、年に10回以上もコンサートに出演するというアマオケマンもいます)。そんなアマオケ界にあって、ダスビはオフ期間を長く取り、その間に各団員は他団や室内楽に参加したり、あるいはたっぷり骨休みしたりして、それから十分に時間をかけて準備をし、次のダスビシーズンに臨みます。年1回のペースを変えることはできませんが、その代わり、その1回の本番に全てを懸けて最高の演奏を目指します。(by だんちょー)
目次に戻る
Q.舞台配置図にある「アシスト」って何?
A.文字通り、補助的な役割を持った奏者で、通称「アシ」と言い、これに対して正規のパートを担当する者を「本吹き」と言います。アシは管楽器、特に金管に付けることが多く、具体的な役割は──(1) 金管楽器の演奏は口許の筋肉を酷使しますが(特にショスタコーヴィチの譜面は!)、特に高音やフォルテ(強奏)の多いパートを受け持つ奏者の筋肉疲労の負担を分散させるために、アシはさほど重要でない伴奏部分を吹いたり、本吹きと交互に吹いたりします。(2) 長く伸ばす音や息の長いフレーズの“カンニング・ブレス”要員として、本吹きとちがう箇所で息を吸ってリレーし、本吹きとセットで長くつながっているように聞こえさせます。(3) 音量の増強。(4) 本番中に本吹きが突然筋肉疲労を起こしてしまう(バテる)等、演奏上のトラブルがあった際に緊急対処します(特に、ダスビのトランペットのアシはとっさの機転が効かないと務まりません。これまで、アシのお陰で何度も演奏が救われました)。(1st.トランペット)
目次に戻る
Q.「替え楽器」ってなあに?
A.弦楽器(特にヴァイオリンやヴィオラ)は、演奏中に弦が切れることがあります。もしそれが本番で切れてしまっても速やかに演奏に復帰できるよう、予備の楽器が用意されています。それが「替え楽器」です。大体、各パート最後列辺りの椅子の上(または下、つまり床の上)に置いてありますので、ちょっと見てみて下さい。実際に弦が切れた時には、弦の切れた楽器が後ろにリレーされて用意していた替え楽器と交換され、奏者は舞台から退くことなく演奏を続けることができるというわけです。もしかすると、特定の奏者の椅子の下に替え楽器が置いてあることがあるかもしれません。それはきっと、その人が弦を切る常習者だからです(ダスビの場合)。(甲斐)
目次に戻る
Q.今「コール・ダスビダーニャ」の活動はどうなってるの?
A.コール・ダスビダーニャは、ショスタコーヴィチの合唱付きを演奏する事を目的として結成された合唱団(多分そうだと思う) 。
結成は第5回、13番『バビ・ヤール』を歌う男声合唱団として設立。その後しばらくは出番がなかったが、第8回の時に、交響詩『ステンカ・ラージンの処刑』を歌うために混声合唱としてリニューアル結成。また翌年の第9回の交響曲第2番、第3番も演奏し、各方面から絶賛された事から、ショスタコを歌う合唱団としての不動の地位を確立した(多分うそ)。
今後の活躍については、『森の歌』や、『ベルリン陥落』、『ラヨーク』などを残すが、『森の歌』については、児童合唱が必要とする事から、ソ連崩壊の現在、未来有望な青少年に社会主義の為に森に木を植える歌を歌わせても、環境問題に取り組む歌だと誤解される恐れから、演奏に躊躇しています(うそ)。
要は、児童合唱団を集めるのが難しいからです。
でも、いつかは『森の歌』を制覇したいと思います。皆で協力して、「森の歌」要員の増産に励もう(エロ)。(2代目合唱責任者の山城)
目次に戻る
Q.楽譜はどうやって調達するの?他所にも貸してもらえるの?
A.ダスビの演奏で使用している楽譜は、ショスタコーヴィチ作品を扱っている、全音楽譜出版社、日本ショットからの有償レンタル譜です(白川作品を除く)。ですので、当団ではショスタコーヴィチの楽譜は保有しておりません。(半澤)
目次に戻る
Q.特殊な打楽器の手配はどうやってるの?
A.打楽器のHから、僭越ながら打楽器調達戦略の一端をご紹介いたします。
戦略1「借りる」(鐘の場合)
今までのダスビの演奏会では、交響曲11番、同13番、『ステンカ・ラージンの処刑』で登場しています。
ショスタコーヴィチは、とても鐘を効果的に使っており、あるときは「警鐘」として、またあるときは「平和を祈る鐘」と、とても重要な役割を果たしています。いつもレンタルしている業者には、3種類の鐘が用意されていて、これらを微妙に使い分けています。どの種類の鐘を選ぶかは、メンバーの間でアメリカvsイラク以上の緊張関係を強いられるのです。
さて、この3種の鐘が一度に登場した曲があります。『ステンカ・ラージンの処刑』です。この曲では、1 パイプ状の鐘 2 板状の鐘 3 いわゆる「カリヨン」をそれぞれ使い分けました。この演奏会においでいただいたお客様には、鐘の違いを感じていただけましたでしょうか。 ステージリハーサルでは、鐘をつるす糸が切れ、あやうく楽器が倒壊しかけるという事件も発生しており、奏者は命がけで演奏しました。
戦略2「買う」(むちの場合)
同じく『ステンカ・ラージンの処刑』で登場しました。2枚の板を打ち合わせると、「パシッ」というムチの音がします。処刑のシーンで象徴的に使用されているため、オーケストラの全ての音を越えて響き渡る必要があります。最初は手作り楽器作戦を試みましたが、あえなく失敗し、購入することにいたしました。そんなときいきつけの楽器屋のバーゲン情報が目にとまりました。「むち○○千円」…。私は1月3日のバーゲン開始とともに店になだれ込み、手にいたしましたのが、皆様がお聞きのムチでございます。
余談ですが「バーゲンでムチを安く買ったの(^^)」という発言はあらぬ誤解を招く恐れがあるため、一般人には公言できません。
戦略3「つくってもらう」(サイレンの場合)
交響曲2番で登場しました。工場で鳴り渡るものをイメージしていましたが、先のレンタル業者の手回しサイレンでは物足りないものでした。そこでインターネットで「サイレン屋(?)」を見つけ、このためだけの「本物の工場用サイレン」を特注したのでした。「サイレン屋」と奏者が何度も打ち合わせをした自信作ですが、奏者は現在国外在住ですので、詳しい経緯はまたの機会にいたしましょう。そういえば「サイレン屋」はその後倒産してしまいました。エンジニアの方々は別の職場でご活躍されているそうです。
おわりに
と今までえらそうに書いてまいりましたが、実は本番用の楽器が最終的に決定するのは、ほんの2.3週間くらい前です。今回の特殊楽器である鉄工場の「鉄」も、この原稿を書いている今はじぇんじぇん決まっておりません。このプログラムがお客様のお手もとに届くころ、楽器が決定していればいいなあ。 (H)
目次に戻るQ.指揮者はなぜ必要なの?
A.簡単に言うと、オーケストラというのは本日のステージをご覧の通り大人数でひとつの音楽を演奏するものだからです。
ひとりで演奏する時、指揮者は要りません。2人で演奏するときも、要りません。4人でも、お互いに目を合わせたり呼吸を合わせたりして演奏できるので、指揮者は必要ありません。8人くらいでもきっと大丈夫です。しかしこれが10人、20人と増えていき、50人、100人となるとどうでしょう。振り返らないと見えない人もいますし、もはやお互いに目を合わせることは不可能です。ではみんなどこを向いて座っているのでしょう。そう、扇の要、指揮者です。
ではなぜ指揮者を見て演奏する必要があるのでしょうか。それは、オーケストラの音楽は、とても複雑にできているからです。
多い時には100人もの人数で演奏されるだけのことはあります。オーケストラには全部で10数種類の楽器があり、管楽器やヴァイオリンは同じ楽器の中でもさらに2〜3パートに分かれていて、それぞれ違う旋律を弾いたり吹いたり、伴奏にまわったり、リズムを受け持ったりしています。そして、曲のテンポ(速さ)というのは、実は一定ではありません。盛り上がるのに従って徐々に速さを増していったり、逆にたっぷりと時間をかけたりします。突然ものすごく速いテンポになることもありますし(もちろんその逆も)、だんだんゆっくりとなって終わる、という曲もたくさんあります。また、同じ曲を演奏しても、力強く演奏するのか、美しく流れるように演奏するのか、様々な解釈があるのです。オーケストラのメンバーひとりひとりにももちろん個性があって、好みも様々。でも100人いても奏でる音楽はひとつです。100人で「ここはどうしようか」と話し合ってもいいけれど、多分いつまでたってもまとまらないでしょう。そこで、我々100人のメンバーをひとつの方向に導いてくれる人=指揮者が必要なのです。いわば、指揮者は船長のようなものなのです。(Vn.甲斐)Q.コンマスって何するひと?
A.難しい質問です。まず、プロのオーケストラでの一般的なことを申し上げますと、コンサートマスター(略してコンマス)には、通常、第一ヴァイオリンの首席奏者が就任し、その役割は指揮者とオーケストラ奏者との橋渡しであると言われます。音を出さない指揮者に対し、音を出す奏者の代表というわけです。たとえば指揮者が「ここはこんな音で」と何か抽象的な指示をしたときに、具体的に音にできてそれを他のメンバーに伝えることができる、といったように高い演奏能力と音楽性が要求されます。しかし、趣味で演奏しているアマチュアオーケストラ(アマオケ)ではやや事情が異なります。理想とするところは同じでありたいのですが、必ずしもヴァイオリンの一番上手な人がコンサートマスターになるわけではなく、ほぼ全ての練習に出席できる人に限られます。つまりどれだけ上手いかではなく、どれだけそのオーケストラに時間を割けるのか、ということの方が重視される側面があるのです。それはアマチュアが本番だけを目的としているのではなく、週末ごとの練習そのものを楽しみ(目的)として活動していることに起因しています。ですから、一番ヴァイオリンの上手な人が一番熱心に練習に参加しているアマオケは幸福であると言えます。
コンマスはボウイング(弓の動かし方)を決め、他の弦楽器パートとの調整を行い、第一ヴァイオリンのパートリーダーでもあるので時にパート練習を行い、合奏に先だってオーケストラのチューニング(音合わせ)をし、練習中に不明なところを指揮者に確認したり、他のメンバーに指示を伝えたりします。忙しくて練習の欠席が多い人へのフォローもアマオケでは大切です。しかしそれらのこと(チューニング以外)は他の楽器の首席奏者も行っていることなので、特別に列挙することでもありません。じゃあコンサートマスターって何だろうな、自分には何ができるのだろうな、ということは、多くのアマオケのコンマスが日々思い悩んでいることなのではないでしょうか。
さて、本番ではコンマスならではの仕事があります。オケのメンバーが全員着席してから最後に舞台に現れ、お客様にお辞儀をしてからチューニングをします。指揮者が登場すると真っ先に立ち上がり、指揮者と握手をします。演奏終了後のオーケストラの起立・着席も全てコンマスに従って行われています。実はこれが結構大変。演奏が終わったらその満足感や感動などの余韻に浸りたいのに、指揮者の入退場とオケの起立着席のタイミングを計ることに神経を使い、そんなものは吹き飛んでしまいます。ダスビは年に1回しか演奏会がないので、わたしはこの儀式にちっとも慣れることができません。(Vn.甲斐)
Q.曲目表記にこだわりがあるの?
A.上記のような形で質問を頂いたことはありませんが、第9回定期演奏会の際、交響曲第3番の表題を『最初のメーデーの日に』と表記したことに対して、「原題を直訳すれば、『メーデー』となるはずでは?」との質問を頂きました。また、今回のコンサートにおいても、「“馬あぶ”って何ですか?」との質問を頂きました。そこで、私たちダスバーが、普段どのように曲目表記を考え、決定しているのかを、例を挙げて御紹介しようと思います。まず、私たちが曲目表記を決める際に、どのような基準で考えているのかをまとめておきます。
А.作曲者が付した原題はどうか?(なるべく原題に忠実に)
Б.国内では一般的にどう表記されているか?(一般的な表記からあまりにもかけ離れると、一般の方々に混乱を招いてしまう)
В.私たちはその曲をどう呼称したいか?(私たちはその曲をどう捉えているかというところから、すでに聴衆へのメッセージとなっている)特に上記のような基準を明確に取り決めたわけではありませんが、これまで、曲名表記にこだわりを持つ団員がいろいろ議論する過程を見ると、上記3つの基準からアプローチしていると思われるので、この機会に整理してみました。
1.「交響曲第3番『最初のメーデーの日に』」の場合
А.原題は、ロシア語で『ピェルヴァマイスカヤ(May Day)』となっており、直訳すると「メーデー」となる。
Б.国内では、『メーデー』と『5月1日』の2種類がある。
В.この曲は、労働者たちの希望に満ちた未来を描いた曲だと思うが、今の日本人が「メーデー」という言葉から連想するのは、「会社が休み」「家族でプラカードを持って行進」「公園の出店」といった一種の祭である。原題からも国内での一般的な表記からもやや離れるが、合唱で歌われる歌詞の冒頭から取って、『最初のメーデーの日に』はどうか? 同時上演の交響曲第2番『十月革命に捧ぐ』という詩的な表題ともバランスが取れて、プログラムにも統一感が生まれると思う。2.「交響曲第2番『十月革命に捧ぐ』」の場合
А.原題は、ロシア語で『パスヴャシェーニイ アクチャーブリュー(dedication to October)』で、直訳すると「十月への献呈」である。
Б.国内では、『十月に捧ぐ』または『十月革命に捧ぐ』が一般的である。
В.ロシア語の「アクチャーブリ(October)」には、「10月」の他に「十月革命」という意味があり、言葉からだけでは決め手がない。思うに、この曲は、十月革命を成し遂げたレーニンと民衆の力への讃歌である。当時のロシア人にとっては、単に「十月」と言えば「十月革命」の意味だったのだろうが(例えば、日本人が「ヒロシマやナガサキ」と言えばそれだけで意味が分かるような)、現代の日本人には明確に「十月革命」と言ったほうがイメージを持ちやすいと思う。なお、固有名詞化しているので、『10月革命』よりも『十月革命』ほうが妥当である。3.「交響詩『十月』」の場合
А.原題は、ロシア語で『アクチャーブリ(October)』、直訳は「十月」。
Б.国内では『十月』か『十月革命』が一般的。また、「十月」の部分は、「10月」という書き方もある。
В.この曲は、『十月革命に捧ぐ』とはちがって、十月革命そのものをテーマにした曲ではないと思われる。十月革命という祖国の大事件が人々に大きな悲しみをもたらすことになったという因縁めいたものに、晩年の作曲者がしみじみと思いを馳せているというような、すごく内面的な音楽のように思う。『十月革命』と書くとイメージが限定されてしまうので、『十月』としたほうが良い。そして、一つの熟語として捉えたいので、『10月』よりも『十月』が妥当。4.「詩曲『ステンカ・ラージンの処刑』」の場合
А.原題を直訳すると、「詩曲『ステパン・ラージンの処刑』」である。
Б.曲名辞典では、「交響詩『ステンカ・ラージンの処刑』」で載っている。
В.「詩曲」というジャンルを広義の「交響詩」に整理しても決して間違いではないようだが、ショスタコーヴィチは、ほぼ同時期にこの「詩曲」と「交響詩」(前述の『十月』)を1曲ずつ書いており、この2つのジャンルを区別していると考えられる。「詩曲」という用語にピンと来ない人も多いと思うが、原題に忠実に「詩曲」とする。一方、表題のほうは、我々日本人には「ステンカ・ラージン」という人物名で知られているので、「ステパン・ラージン」とするよりもイメージを持ちやすいと思う。また、曲中の歌詞は全て「ステンカ」となっているので、表題を『ステンカ・ラージンの処刑』としても作曲者の意図は損ねないと思う。5.「映画『馬虻』の音楽による組曲」の場合
А.原題は、ロシア語で『馬あぶ』ということで、邦訳としては問題ない。
Б.国内でも例外なく『馬あぶ』と表記されている。
В.確かに「馬あぶ」というアブの一種はいるが、そもそも「馬あぶ」という昆虫名にはほとんどの人がなじみがないだろう。かと言って、『アブ』とすると、この曲はショスタコーヴィチ愛好家の間では比較的有名な曲なだけに、『馬あぶ』とは別の曲かとの混乱を招きかねない。映画のストーリーは、「馬あぶ」との異名を持つ革命義勇兵のリーダーの物語なので、漢字で『馬虻』と書くといかめしくて良いと思う。ただ、なじみのない文字なので、特にチラシの表やパンフレットの演目一覧のページでは、「うまあぶ」とルビを振る。6.「交響曲第5番」の場合
А.作曲者は、何の表題も付けていない。
Б.国内では、疑問視されるも、依然『革命』と呼ばれている。
В.(私たちの考えについては、別項「曲目解説」を参照されたい)。
──以上のような感じで、少しでも作曲者の意図に忠実に、少しでも一般の人がイメージを持ちやすいように、そして、少しでも私たちのメッセージが込められるようにと、団員の中で曲目表記にこだわりを持つ有志があれこれ話し合って決めています。(印刷物担当者に尻を叩かれながら…)。by 曲目表記いのちQ.売り切れた過去の演奏会のCDは再販しないの?
A.ごめんなさい。しません。
基本的には、パパとママの思い出を、後に半泣きで語ったりするための記録ですので、関係者分+α程度しか作成しておらず、作成枚数がはけたら終了、ということにさせていただいております。
再販ともなると、様々な作業が、また一から発生するわけで(落涙)。現在も皆で時間をひねり出して諸作業に当たっているので、かなりの負担となってしまいます。他の面からもリスクが大きいため、再販はしないことにいたしました。どうか悪しからずご了承ください。
誰にでも忘れたい過去もあるということで、過去のものについては、どうかご縁がなかったものとお考えいただき、今の私たちをお楽しみいただければ幸いです。(別会計)Q.ダスビダーニャで、わたしも演奏したいんだけど・・・
A.当団では、ホームページや各種媒体による団員の公募は一切行なっておりません。その理由としては、まずパートによって欠員状況が違うことが挙げられます。
さらに各パートによって団員としての基準が違っております。どのパートも原則的にはオーディションは特に行ないませんが、入団希望の際には、ダスビダーニャ・オフィス宛に一度ご連絡を頂きまして、各パートの担当者に連絡。その後パート担当者と入団希望者が個別に直接お話させていただく形を取っております。必ずご連絡を差し上げているかどうかの確認は責任もってさせていただいております。ご興味のある方は一度ダスビダーニャ・オフィスまでご連絡をお待ちしております。※ダスビダーニャ・オフィスへの連絡はこちらへ
最終更新2005/3/4
作・監修:オーケストラ・ダスビダーニャ団員有志一同
注)当ページの著作権はオーケストラ・ダスビダーニャにあります
従って当ページの内容の無断転載・改定を固くお断りします
【エキストラ・ダスビダーニャ】
ダスビダーニャ団員が、ショスタコーヴィチを演奏するアマオケにエキストラで出演すること。選曲でショスタコーヴィチの曲をやることに決まってエキストラを募集しているアマオケと、年一回のダスビだけではがまんできないダスバーの利害が一致した場合に成立する。
終演後、アマオケ側はダスバーに「演奏会に手伝っていただいてありがとうございました」と言う事が多いが、ダスバー側は「何でショスタコを弾かせてもらえた上に、感謝までされるのだろうか?」と不思議に思ってしまう。略称:「エキ・ダス」
(1)陸地の先端「岬」やそこにある灯台など、岬を愛する人々。ダスビにはミサキストで作る「岬同好会」があり、たまに活動を行っている。
(2)某ゲーム(調査の結果"ONE"と判明)のキャラクター「川名みさき」を信奉する人のこと(らしい)。web上にはファンページがかなりあるようだ。
ショスタコーヴィチ・アルコによって鍛え上げられた弦楽器のダスバーにとって、「ダウンボウがすべて」である。よって、「ダスビのショスタコーヴィチ」以外の曲を他のアマオケでやるときでも、気がつくとダウンボウで攻めたりする傾向があるのだが、そうは問屋が下ろさない。気がつくと、各オケでの音楽的、技術的な問題等でダウンがアップボウに変わる事が多々ある。そのような事態に直面すると、段々落ち着かなくなり、気がつくと周りと違うボーイングをしていることが多々ある。そのような症状をダウンボウ・症候群とよぶ。段々症状がひどくなると、ショスタコーヴィチの曲以外でもダウンボウがアップボウに変更になると、落ち着かなくなるらしい。(この項の筆者はかなり症状がひどいらしい)
(1)レミングというアメリカ某所に主に生息している、リスのような生き物は、ある時、突然本能に従って群れをなし、川に向かって(=に死に向かって)突っ走る習性がある。つまり、レミング達は、自分たちが増えずぎると、本能的に集団自殺するようにプログラムされている動物なのである。
(2)自己防衛本能に多少の問題があり、なにかに駆り立てられるように身を滅ぼす人々のこと。転じて、健康診断時にE判定がつこうが、終電がなくなろうが、社会的信用が失われようが、腰を据えて痛飲などをする人々をいう。また、若干それを気にかけつつ、やっぱりずるずる飲酒してきっかけを逃す人、あるいは、素面にもかかわらず自車にそのような人を快く乗車させ、自分の睡眠時間を削ってしまう人、焼かれる人々、それらを見て笑い転げている女性。転じて寓意的に「殉教者」。多くのダスバー達の行動は上記のような傾向にあり、なんとも「レミングの群れ」をほうふつとさせてしまうのである。【類語?】マグロは一生泳ぎ続ける
【生タコ】
(1) ショスタコーヴィチの生演奏のこと。この生タコを聴ける機会は一昔前よりは増えたとはいえ絶対的に少なく、生タコに飢えているダスビ団員は東に生タコ演奏会があれば飛んでいき、西に生タコのエキストラがあれば交通費もノルマ(もしくはギャラ)の多少もいとわず楽器を持って舞台に乗る姿がしばしば見られる。
(2)タコの刺し身。生きているタコ(オクトパス)の足の部分を吸盤と共に皮を剥き、薄く切ったものを刺し身醤油で食べる。ただし、これはごく新鮮なものでないと食用に耐えられないので高級な料理屋か、タコが捕れる近海の町に行かないとなかなか食べられない貴重な逸品である。筆者は、タコが食べられない為に、1度だけ生タコの刺し身に遭遇したものの、その貴重な味を賞味することが出来なかった。今度遭遇したら食してみようと思うのだが、その機会がいつくるか定かではない。【参考】タコメシ
【ショスタキスト】
全ての音楽や作曲家に対して寛大かつ意欲的で、ほんの少しだけ、ショスタコが他の作曲家よりも好きだという、真の音楽愛好者。特に女性ショスタキストは、「ショスタキーナ」と言われることもある。 なお、「ショスタキスト」は、ショスタコ以外は認めないというショスタコ偏愛主義者であると、誤った定義付けがなされることが比較的多いが、それは「ショスタキスト」とは区別されるべき「ドミトリアン」であって、音楽愛好者としての精神を根本から異にするものである。曰く───私は、反ショスタキストからドミトリアンと同じように激しく憎まれている。だからこそ私は、真のショスタキストなのだ!(意味不明)【類】ミサキスト
【ダスバー】
ダスビの団員および指揮者、先生方。特に女性ダスバーは、「ダスビーナ」と呼ばれることもある。
【レセ・ダス】
「レセプション・ダスビダーニャ」の略。
ダスビ団員は演奏会後の打ち上げを非常に愛好しており、様々なプロorアマオケの演奏会を聞きに行った後でも私的な打ち上げを開催する。それが「レセプション・ダスビダーニャ」である。レセ・ダスは演奏会において偶然遭遇した団員、または意図的に集まった団員により、終演後に行われる酒宴である。よく考えるとレセプションではない。ショスタコーヴィチが演目に含まれる時、またはダスビ団員が出演した演奏会の時に開催されることが多い。最近は情報網が発達したせいか、ショスタコーヴィチが演目に含まれる場合、必ずダスビ団員が何人か聞きに行っており、レセ・ダスが開催される。
レセ・ダスは演奏会場近くの飲み屋で開催されるのが普通だが、わざわざ森下よ〜ろ〜に移動して行なう場合もある。またダスビ団員が出演した演奏会の場合、当日演奏を行なった団員は、本物のレセプションに参加した後でレセ・ダスにハシゴすることもある。
【森下よ〜ろ〜】
流浪のオケながら、比較的練習場所として定着している森下文化センターの近くにある養老乃瀧・森下駅前店の事。毎年10月になると利用率が上がるとのことで、店の主人はルーズソックスのじょしこーせーを特別にダスビの為に配置してくれているという奇特な店でもある。昨年(98')は利用頻度の高さゆえか、店長から御祝儀を戴いてしまう。今年もダスビのプログラムによ〜ろ〜の広告が載るなど良好な関係が続いている。あまりに森下よ〜ろ〜という響きに馴染んでしまった我々は、「望年会は、池袋の森下よ〜ろ〜で行ないます」などと混乱した発言をすることさえある。
【レセ・リハ】
「レセプションのリハーサル」の略で、要するに呑み会のこと。練習のあと、特に女性に「呑みに行こう」とあからさまに誘うのは少々照れくさいし、また、女性のほうも世間の目を意識してしまうものだが、レセ・リハ、つまり練習に行こうと誘うのであればごく自然だし、女性も素直に応じやすい。(だって練習なんだもん)。いや、応じやすいどころか、特に男衆は参加することを半ば強制されており、欠席の多い団員は、コンマス(コンパ・マスター)やインペク(飲酒ペクター)から厳重注意を受ける。指揮者やトレーナーとて例外ではない。(だって練習なんだもん)。
なお、「レセ・リハ」の後、さらに自主練として、「二次会リハ」「三次会リハ」「二日酔いリハ」「会社さぼり言い訳リハ」等々を行う者もいるが、あくまでも団員個人の自主性に任されており、団は一切干渉しない。
なお、ダスビでは他に「望年会のリハーサル」「新年会の反省会」「海外赴任激励コンパ」等、様々な理由で飲み会を行なっている。
【じゅー】
(1)日本語の「じゃあ(じゃあね)」から派生した結びの言葉。その語感は「敬具」ほど堅苦しくなく、「さようなら」ほど冷たくもなく、また「それでは」と同様の軽さにちょっとした愛嬌を併せ持つ。ただし一般的ではないので、使う相手や場所を選ぶ必要がある。
起源は、明オケコンパで、徹夜でマージャンをして疲れているときなどにまともな返事が出来なくなり、訛って使われるようになった数々の言葉の一つではないかと推測される。(M澤説)
(2)某M大オケのとある呑み会(場所は、お茶の水の「ぷら座」と記憶している)の開始に際して、さあ乾杯という意味で、全員が「じゃあ」とジョッキをかざしているのに、二人だけいきなり話に入りきっていて乾杯の音頭に気づかない。単なる乾杯の音頭の「じゃあ」が、次第に、かの二人に乾杯への参加を促すニュアンスに変化してゆき、それでもまだ話し込んでいる二人に対する苛立ちの感情もこもってきて、歯をかみ合わせたまま強く「じゃあ」を発音するうちに、「じゅー」という音になった。今でこそ、M澤氏の指摘されるとおり、堅すぎず軽すぎず、適度の柔らかいニュアンスで使用されるが、もともとは、モタモタしている一部の構成員に、「とっとと我々の行動に合流したらんかいボケェ!」という、苛立ちを込めた催促の意の「じゃあ」である。
使用例:練習開始時に、指揮者が「じゃあ、行きましょう」と棒を構えているのに、ある奏者がそれに気づかないでポケットスコアを広げて読んでいる様な場合、「とっとと演奏体制に入らんかい、アホンダラー」というニュアンスで、「じゃあ、行くぞ!…じゃー!…じぃゃー!…ぢぃゅー!…」と、苛立ちの感情をcresc
してゆく。(以上白川説)
尚、「じゅー」は、「ダスビ用語」というよりも、「ダスビML用語」だという説もあるが定説は定かではない。
【れみどし】−本団内報の名前の由来−
ショスタコの姓名のドイツ語綴り「D.Schostakowitsch」のイニシャルを、D=レ、S=Es=ミ♭、C=ド、H=シと音名に変換したもので、彼の作品の随所にこのレ−ミ♭−ド−シの音形が現れ、ショスタコのサインと言われている。ダスビでは、団内報の名として広く愛称されている。
【ダスキン】
"ダスビ緊急連絡" の略称で、メールや郵便などによる緊急連絡。しかし、全然緊急を要さない単なる連絡事項であることがほとんどである。よって、今期この連絡方法の存続が危ぶまれているのも事実である。
【気持ちだけ受け取る】−長田用語−
練習中、技術よりも気持ちが先行してしまう我々に対して、指揮者長田先生が、「気持ちは分かったから、ちゃんと弾かんかい!このヘタクソどもが」という意味のことを伝える際に、我々を傷つけないようにと気遣って使われる言葉。しかし、物事の本質を読み取る能力に乏しい我々は、「気持ちだけでいいだなんて、なんて遠慮深い指揮者なんだ」と、無邪気に長田先生の人柄に感動し、気持ちだけのまま本番を迎えるのである。(遠慮深さよりも、むしろ忍耐強さに感動していると、インペクの○坂くんが泣きながら言ってました)。
【戦局会議】
「選曲会議」のことであって、決して御前会議ではない。会議中、作曲家の名前が出てこず、タイトルや番号だけが飛び交うのが特徴。そもそもは、選曲会議のお知らせの文書を作成する課程における誤変換を、普段は杓子定規なインペク逢坂が、珍しく、「これは笑いが取れるから」とあえて修正せずに公示したのが始まり。だから、彼にとっては、
"お笑いもいける逢坂" をアピールするための大勝負という大事な意味も持っていた。しかし、一生に一度演奏できるかどうかという曲が候補であるため、参加者は皆真剣である。誤変換とはいえ戦いという表現もあながち間違いではない。作曲家の名前が出ず、番号のみ飛び交うのが特徴。
"戦局会議" ──それにしても見事な御返還…いや、誤変換である。わがまま言いたい放題の、愛と欲望の人間ドラマが展開される様子を彷彿とさせる表記である。
ex. 「カテリーナ」の場合:会議場(東麻布の秋味亭という呑み屋だった)でヤルヴィ/スコティッシュのCDを聴いて、「うおー、かっちょええ!おれ、これがいい。これじゃなきゃ、おれ降りる」「でも、楽譜は手配できるのかよ?」「なんとかなる!スコティッシュに手配できてダスビに手配できない楽譜などない!」「でも、金管の編成が何となくでかそうだし…」「どうせ3管にアシつけりゃなんとかなるだろ!」「誰か編成が分かる資料持ってねえか?」「何とかなるっつってんだろ!議長、早く決採れ!」──あれから8ヶ月…。届いた楽譜は会議で聞いたCDの演奏のとは違うし、金管は得体の知れない楽器による大編成のバンダが要求されているしで、全然なんとかなっていない。
【運営懐疑】
「運営会議」のこと。上記 "戦局会議" と同じように絶妙な誤変換を狙ったのだが、やはりかなわない。 世界中の憲法が統治の原則とする三権分立にならい、立法と行政の分離、つまり団の意思決定は団員が行い、運営はそれを実行する立場にすぎないとすることによって、運営が団員の意思から乖離し、密室化することを防止するものである。したがって、”運営懐疑”および”戦局会議”には、役付きであるか否かを問わず、全団員が出席する権限を持っており、公平な1票を行使できる。(…といえば聞こえがいいかもしれないが、単に団長が優柔不断なのである)。
【変酋長】
当初、団内広報自身が勝手に呼び始めたのは最初だが、実は誤変換ではなく、わざわざ単語登録をしたものである。最近では、団員の皆様から「へんしゅうちょう」=「変酋長」という認識がされているようなので、ひそかに喜んでいるらしい。「会報れみどし」の発行を楯に、原稿の催促を日々の生き甲斐としているが、好きじゃなきゃやってられないというのも本音ではある。
【タコ】
(1)偉大なる作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチの略称。
(2)ものを数える単位。1タコ=15。「ダース」等と同じように用いる。用例:「ビールを3タコ本、お願いします」
(3)「この、タコ!」と言った場合、一般的には相手を侮蔑する際に用いられているらしい。しかし、「タコ」はダスビでは相手に対する最大限の誉め言葉である。
(4)アマオケではショスタコの交響曲を呼ぶときに「タコ6」などと誤用されている(「ショス6」も同様)。しかし、正しくは「6番」と呼ぶのである。(余計な修飾語句はいらない)
【DS】
(1)偉大なる作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチのイニシャル
(2)富士フィルム社製デジカメの旧型名。とある団員所有のデジカメDS−7にはレニングラードという愛称が付けられている。
(3)大根サラダの略。用例:「DSを2皿お願いします」(他にも団員は様々なDSをみつけ、日常会話に役立てている)
【不協和音】
(1)同時に発せられる時、不調和で融合せず不安定な感じを与える和音。
(2)ショスタコ曲ではごく頻繁にかつ効果的に使われるため、団員にとっては「かっちょいい音」「気持ちいい関係」等の印象を持つ言葉。そのため新聞などで「若貴兄弟に不協和音!」とかいう見出しを見ても、「いいことじゃないか」と思う輩もいるらしい。
【ダスビ・ファン】
(1)演奏会に来ていただいたお客様。最近では年に1度の演奏会だけでは飽き足らず、練習を見学に来るという熱心なファンも増えている。(練習の見学は大歓迎:団長)
(2)筆者が本屋でダビスタ・ファンなる雑誌を見付けたときは「ダスビ・ファン」と見間違えて本気でびっくりした。
【森の歌予備軍】
児童合唱を含むオラトリオ「森の歌」をダスビでやるときに備えて親の手で正規のショスタコ教育を施されている児童合唱要員。要するに団員の子ども。用例:「うちの森の歌予備軍その1が風邪ひいちゃったので今日の練習に少し遅れます」
【ショスタコーヴィチ・アルコ】
バルトーク・ピッチカートに匹敵する、ダスビ弦楽器特有の激しいダウン奏法。この奏法が身体に身に付いてしまったダスビ弦楽器奏者は他オケで顰蹙をかっているらしい。また、いちいちボーイングを書かないと自然に「ダウンボウ」になる習性がある為、ダスビ弦楽器奏者のパート譜にはやたらとボーイングの書き込みが多く、ここでもダウンが優勢を誇っている。【類語】ダウンボウ・症候群
【打族】
ダスビの誇るスーパー打楽器奏者群。打楽器が活躍するショスタコ曲で練習を重ねる彼らは、他オケでも活躍をくり返している。昨年は様々なオケで赤魔法使いの弟子、赤い薔薇の騎士などの名言を残した。【類】堕族
【タコメーター】
どの程度ショスタコビチに傾倒しているかを視覚化するメーターもしくは、その度合を表現するための仮想的な尺度。1から15までの数値で示され、数値が大きいほど傾倒具合が大きいことを示す。特にタコメーターが13以上を指す場合には、「レッドゾーン入ってる」という表現を用いる。
【タコグラフ】
ショスタコ曲演奏履歴を記録したもの。演奏曲目などのほか、気合いの入り具合も記録されるため、ショスタキストであることを隠していてもタコグラフをチェックすことですぐにわかってしまう。
例)
A:「だから俺はショスタキストじゃないって言ってるだろ!」
B:「タコグラフに記録が残ってるんだ!言い逃れはできんぞ!」
【ニューバビロン】
(1)ショスタコーヴィチ作曲の映画音楽。
(2)ショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」に関して、従来の解釈とは異なる新たな意見・議論。(→新バビ論)「バビヤールに記念碑は、今はある」等。
【レニングラード】
1. 牡馬/3歳/栗毛/音無厩舎の競走馬(←Google検索の先頭に出てきた)。「ローエングリン」との連勝馬券を買うべし。
2. 旧ロシア帝国の首都サンクトペテルブルグの旧名称。サンクトペテルブルグ→ペトログラード→レニングラード→(再び)サンクトペテルブルグと、この町の名称は何度も変わった。名称の変遷自体が、ロシア・ソ連の歴史の変動を物語る。なお今年は、何の因果かサンクトペテルブルグ建都300周年、レニングラード解放40周年に当たる。ちなみに現在名は、英語では「セント・ピータズバーグ」となり、異様に語感が軽い。
3. ショスタコーヴィチ作曲交響曲第7番のタイトル。名門・レニングラード交響楽団もサンクトペテルブルグ交響楽団と名前を変えた現在、この交響曲に付けられた名前が唯一ソヴィエト連邦時代の名残となるのではないかと推測される。ダスビ第1回定期演奏会で取り上げているため、「レニングラードの時は・・・」という表現は、古参ダスバーでは「第1回の時は・・・」の意を示す。ただし、今回2回目のレニングラードなので、まもなくこの表現は用語集から削除されることであろう。【類語】「バビヤールでは・・」「処刑の時は・・」「1905年の頃は・・・」等。これらはしばらく有効。
【エンキョラー】
遠距離ダスビ参加者。家庭や会社の都合により首都圏から離れた地域に引っ越すことを余儀なくされた団員は、新潟・京都・高知・福岡などの遠距離からでもダスビに参加する。その理由は「ここでしかできないんだもん」。
【新入団員】
1. 新入団員より。「10年前ですか? ワタシ、小学生でしたよ〜」。光陰矢のごとし。
2. 新入団員へ。「何番が好き?」とか「誰が指揮の交響曲全集が好き?」とか聞かれても、ビビらないこと。
【ダス婚】
ダスビ内結婚。配偶者に「アマオケ活動への理解」に加えて、「ショスタコへの理解」も得られているため、「家の中ではピアノ協奏曲第2番しか聞いちゃダメ」などという制限を設けられることが無い。ダスビ内で初めて出会ったカップルの場合、「純粋ダス婚」と呼ぶ。ショスタコが引き合わせた仲であり、非常に目出たい。純粋ダス婚の披露宴では、新郎新婦演奏で「黄金時代のポルカ」を聞く機会が多い。
【長征】
1. エンキョラー(※別項)が、週末に数時間と数万円をかけて、都内での練習に参加する行為。
2. 遠距離に住む観客が、年一回池袋までダスビを聴きに来る行為。
【モソロフ】
ロシア・アバンギャルドを代表する作曲家。とはいえ、知名度の低さのためか、「モロゾフ」やら「モロトフ」やらとよく間違われてしまう。
【レニー】
1. 米国の指揮者・作曲家「レナード・バーンスタイン」の愛称。
2. ショスタコーヴィチ作曲・交響曲第7番「レニングラード」の愛称。
3. と書いてみたら、「レニーのレニーって、最高!」と言えてしまうことになる。2は、ウソ。
【レニング・ランド】
1. 「やっぱ、米国資本だけじゃなくって、ロシア資本のアミューズメントパークも欲しいよね」との団員の宴会ヨタ話から生まれた、仮想アミューズメントパーク。「消火活動をするショスタコーヴィチ」などのアトラクションがある。が、ドイツ軍に囲まれているため入場は困難。中には食堂が無く、飢餓体験も可能である…などと、団員はネタを膨らませている。【類語】「スターリング・ランド」
2. …というような冗談を言っていたら、ソ連時代を再現したテーマパーク「スターリン・ワールド」なる施設が、リトアニアにできたらしい(実話!)。現実はヨタ話より奇なり。
ショスタコーヴィチ関係
団員が係って(所属して)いる団体(順不同)
※団員の方へ―所属オケへのページへリンクをします。下記連絡先へどうぞ。
音楽の事ならなんでもあり
演奏会のお客様等のページ
(C)Copyright 2000- Dasubi WWW Working Group
All rights reserved.
1993 1/31(Sun) 第1回定期演奏会
府中の森芸術劇場どりーむホール
1994 10/29(Sat) 第2回定期演奏会
川口総合文化センター・リリアメインホール
1996 2/25(Sun) 第3回定期演奏会
府中の森芸術劇場どりーむホール
1997 2/11(Tue) 第4回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
1998 2/11(Wed) 第5回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
1999 2/27(Sat) 第6回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2000 2/20(Sun) 第7回定期演奏会
すみだトリフォニーホール
2001 2/18(Sun) 第8回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2002 2/11(Mon) 第9回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2003 2/11(Tue) 第10回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2004 2/11(Wed) 第11回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2005 2/13(Sun) 第12回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2006 2/19(Sun) 第13回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2007 3/4(Sun) 第14回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2008 2/11(Mon) 第15回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2009 2/15(Sun) 第16回定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール
2010 2/11(Thu) 第17回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2011 2/20(Sun) 第18回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2012 3/11(Sun) 第19回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2013 3/3(Sun) 第20回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2014 2/11(Tue) 第21回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2015 2/8(Sun) 第22回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2016 1/31(Sun) 第23回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2017 3/12(Sun) 第24回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2018 2/25(Sun) 第25回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2019 3/3(Sun) 第26回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2020 2/9(Sun) 第27回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
2022 2/11(Fri) 第28回定期演奏会
すみだトリフォニーホール 大ホール
2023 2/26(Sun) 第29回定期演奏会
東京芸術劇場 コンサートホール(大ホール)
私たちオーケストラ・ダスビダーニャは 第21回定期演奏会にて、 交響曲第13番「バビ・ヤール」を 演奏することとなりました。 そこで、私たちと一緒に演奏に参加してくださる 合唱の方を募集します。 ←こちらをクリックすると、チラシをダウンロード 頂けます。 プリントアウトしてお使いください。 (PDF:約400KB) |
募集パート・人数 | :男声 60名 |
本 番 | :オーケストラ・ダスビダーニャ 第21回定期演奏会 2014年2月11日(火・祝日)昼公演 すみだトリフォニーホール 大ホール |
指 揮 | :長田 雅人 |
バ ス 独 唱 | :岸本 力 |
曲 目 | :ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第13番「バビ・ヤール」 |
合 唱 指 導 | :渡部 智也 |
練 習 日 | :8月ごろより、土曜を中心に開始予定 |
参 加 費 | :10,000円程度(これよりも若干高くなる可能性もあります) |
そ の 他 | :ロシア語歌唱(ロシア語指導あり) |
【お申込み・お問合わせ】
オーケストラ・ダスビダーニャ事務局
電話:090−4609−7752
オーケストラ・ダスビダーニャ バビ・ヤール準備委員会
メール:chor_babi@dasubi.org