第19回定期演奏会

第19回定期演奏会チラシ

概要

日時:2012年3月11日(日)13:00開場 14:00開演
会場:すみだトリフォニーホール大ホール
指揮:長田 雅人

プログラム

  • D.ショスタコーヴィチ作曲
    • 伊福部 昭作曲
    • 管絃楽のための≪日本組曲≫
    • 交響曲第7番≪レニングラード≫作品60

団長挨拶〜死者の魂に優しい日本の夏〜

CD販売について
演奏会場のロビーにて当団の過去の演奏会を収録したCDを販売します!
以下の回のもの在庫があります!
第5回、第11回、第12回、第13回、第14回、第16回、第17回
いずれも名演ぞろいです。この機会に是非どうぞ!
(なお、今回のCDの売り上げは寄付となります。)
チケットについて
今公演のチケット販売は、終了いたしております。
現在、チケットぴあにて発売中です。
また、12月下旬以降、トリフォニーホールチケットセンターでもお取り扱いいただく予定です。
チケットぴあ:0570−02−9999 Pコード:156-100
トリフォニーホールチケットセンター:03−5608−1212
団長挨拶〜死者の魂に優しい日本の夏〜
序) 優しい夏の始まり
私にとって昨夏ほど“死者の魂”に想いを寄せたことはありませんでした。
先の震災で、4人の知人が亡くなりました。また、7月には高校時代の吹奏楽部の同期が急死し、そして8月に入ると、まだ8才の従甥が祖父と共に山で遭難しました。私は、突然思い立って、青森の「ねぶた」と弘前の「ねぷた」、それから仙台の「七夕」を観に行きました。
話は前後しますが、3・11の地震の時、私は職場の机の下で揺られながら、「もしコンサートの際中だったら、どうなってるだろう?…そう言えば、ちょうど1年後はダスビの第19回コンサートの日じゃないか」と考えていました。やがて、その第19回の演奏曲目を決める選曲会議が開かれ、すぐにショスタコーヴィチの第7交響曲『レニングラード』が浮上してきました。
1)1941年9月8日/レニングラード市(旧ソヴィエト)
――第二次世界大戦時、ドイツ軍に900日間包囲され、60万〜100万人もの市民が犠牲になりながらも、必死に耐え抜いた町、レニングラード。そのレニングラード市民の一人である作曲家ショスタコーヴィチが、消防兵として活動する一方で一気呵成に書き上げた巨大シンフォニー。作曲家、ラジオ放送を通じて曰く、「私は、レニングラードから全国の皆さんに呼びかけています。私は今、新しい交響曲を書いています。この町が勇敢に戦っているということを皆さんに知って頂きたくて。皆さん、今こそ自分の役割を誠実に果たしましょう。やがて平和が訪れた時、私たちが故郷をファシズムから守ったのだと誇れるように!」と。
そして、その包囲下のレニングラードで、空襲の合間を縫って交響曲のコンサートは開かれました。ーーこの『レニングラード』交響曲こそ、復興への節目の日に演奏するのに最も相応しい…と言うより、この日に演奏されるために書かれた交響曲だと言っても過言ではない。「レニングラード」と書いて、「石巻/気仙沼/仙台/山田町/浪江町/大船渡…」と読む…。
現常任指揮者の長田氏と共に初めてダスビダーニャが公の舞台に上がった第1回定期、そして第10回という節目のコンサートに続き、奇しくも「3・11」という日付の今回のコンサートで、この『レニングラード』は3度目の演奏となります。20年間、一途にショスタコーヴィチを演奏してきた私たちダスビダーニャの運命のようにも感じています。
2) 2011年3月11日/東北地方(日本)
さて、「3度目」と言えば、私たちがショスタコーヴィチ以外の作曲家を取り上げるのも、今回で3度目となります。我が日本の誇る大作曲家、伊福部 昭の『日本組曲』。伊福部は、映画『ゴジラ』の音楽で有名ですが、他にも日本人の血を煮えたぎらせる熱い作品をたくさん残し、6年前に91歳で惜しまれつつ…。
そんな伊福部が19歳で書いた『日本組曲』(正確には、19歳ではピアノ曲として書かれ、77歳になってオーケストラに編曲された)は、『盆踊』、『七夕』、『演伶(ながし)』、そして『佞武多(ねぶた)』の4曲から成り、単なる風物詩ではなく、「日本人は死者の魂とどう向き合ってきたか」を思い起こさせる深い音楽です。
この夏は「ねぶた」や「七夕」を観に行きたいな…。そう思っていた矢先、高校時代の親友と親戚の男の子が相継いで亡くなり、私は、生まれて初めて、東北の勇壮な祭を体験するに至りました。あの有名な「ねぶた/ねぷた」の山車は、元々は全国各地にある「灯籠流し」の灯籠が津軽の地で極端に巨大化したもので、死者の魂を乗せて見送るのだとか…。一方、昔から津波と対峙してきた三陸地方の「七夕」は、夏に死者が生家に帰ってくる際、どんなに故郷の様子が変わっていても迷子にならぬよう、短冊をいっぱいぶら下げて、太鼓を打ち鳴らし、「ウチはここだよー。無事に帰っておいでー」と魂を出迎えるための行事なのだとか…。東北の人たちは…、日本人は、なんて優しいのでしょう。まだ10代だった伊福部も、弘前の「ねぷた」を見物して死者の魂への優しさに胸が熱くなり、この音楽を着想したのかも知れません。
3) 東日本大震災から1年/義援金へのご協力を
3・11という日に趣味のイベントを開催することについて「自粛すべきじゃないか」との強い勧告も頂きましたが、…開催させて下さい。
その代わりという訳ではありませんが、今回のコンサートは、チケットの売上や会場での物品販売の売上(一部の例外を除く)は、義援金として活用させて頂きます。また、会場には募金箱を設けさせて頂く予定です。お預かりした皆様のお心遣いは、どこか東北のアマチュア・オーケストラに受け取って頂き、有効にお使い頂きたいと思っております。確かな支援組織に託すという方法もあろうかと思いますが、「より多くの団体に公平に…」という役割はそういった組織様にお任せし、私たちは、アマチュア・オーケストラの運営の現場を熟知している一般民間人として、例えば「あとこれだけあれば練習場を借りられる/楽器を買える/ホールを予約できる…」といった実際に後押しとなるような資金を、2012年3月の時点で最も必要とされている団体様にお渡ししたいと考えました。この趣旨に御賛同頂けます方は、どうか御協力をお願い致します。
あとがき
「3・11の道楽は自粛すべき」とのクレームに対するささやかな言い訳の気持ちもあったのか、私は被災地で瓦礫撤去のボランティアに参加しました。「瓦礫」は、文字や映像で見る機会は少なくないし、ショスタコーヴィチに関する資料にもよく出てきます。が、改めて実際に“瓦礫”を見、触ってみると、言葉にはならない締めつけられるような感情が突沸してきます。もし私の故郷四国が瀬戸内に呑まれて、町が瓦礫になったら…。そう思うだけで手足が震えてきました。
ある地元のおじいさんが、半ば独り言のように「皆さんありがとう。津波さんも地震さんも、みんなありがとう」と繰り返しおっしゃっていました。「なんで津波にもありがとうなんですか?」とお聞きすると、曰く。
――恨みつらみはいっぱい言ったけど、な〜んにも戻ってこない。だから試しに「ありがとう」って。逆転の発想だな、あはは。――
東北のお年寄りは、日本のじいちゃんばあちゃんは、優しいだけじゃなく、とてつもなくつおいっ!
2012年の3・11は、そんな優しくて強い“日本の夏”を表現できればと思います。大ホールでお待ちしております。
2011年 初秋  オーケストラ・ダスビダーニャ 団長 白川悟志