去年のパンフレットに載せられなかった曲解説
〜第11回定期演奏会アンコール曲/
『追跡』(映画『コルジンキナの冒険』の音楽 作品59より)〜


 前回のコンサートで演奏したアンコール・ピースの紹介を、この場をお借りして書かせて頂きたいと思う。なお、同曲のCDをお求めになりたい方は、本会場内の販売コーナーまでお越し願いたい(^O^)/

1.『コルジンキナの冒険』の概説
 映画は喜劇仕立てで、駅の切符売り場で働く心優しい女性、コルジンキナの物語。(団内報「れみどし」には「子供向けのアニメだ」と書いたが、私の完全な勘違いであった)。『コルジンキナの出来事』という翻訳もある。何編かのシリーズになる予定だったが、第二次世界大戦の勃発によって第1作で打ち切り。その第1作は、コルジンキナが駅利用客の若い歌手に恋をし、コンクール当日に風邪で声が出なくなった彼のために愛の力を発揮するというストーリー。(が、続編が予定されていたということは、この第1作の恋は成就されなかったということか…?)
 ショスタコーヴィチは、この映画のためにオーケストラによる数曲のBGMを書いたが、ただ1曲、『追跡』だけは2台のピアノのための曲として書かれている。これは、この“追跡”のシーンだけサイレント映画(無声映画)となって、突然ピアノによる生演奏のBGMが鳴るという演出のためである。まだトーキー映画の時代が幕を開けて間もないこの頃、このサイレント映画の手法を取り入れるという演出は、とても独創的で、当時の多くの映画ファンにはとてもインパクトが強かったのではないかと思う。

2.編曲後記
 私は、ロヂェストヴェンスキーの「ショスタコーヴィチ未発表作品集」のCDでこの曲を聴いた瞬間からぞっこん惚れ込み、何か気分的にテンションを上げたい時には、オーディオのリピート機能をONにして延々と「ズタズタズタズタ…」と鳴らすことしばしばである。とにかく、底抜けに楽しい曲だ。特に昨秋、他の演奏のCDを入手したこともあり、深夜に及ぶ書類仕事の際には必ずこの曲をBGMにしていた。一晩中「ズタズタズタズタ…」。気分が高揚してノッてくると、思わず曲の節目々々で「ハイッ!」とか「ホイッ!」とか合いの手を入れていた。「ここで合いの手を入れろ」と曲にいざなわれているような、ショスタコ・ワールド全開のノリノリの音楽である。
 アンコール・ピースの選曲会議開催が告知された頃、ふと、「この曲をオーケストレーションして演奏したい。よし、速攻で譜面を書いて選曲会議に出してみよう」と思い立ち、早速、レア物スコアの四次元ポケット、トロンボーン:K田くんに原曲の譜面をコピーしてもらった。
オーケストレーションは、特に熟考することなく、ほとんど即興的に頭の中ででき上がった。イメージとしては、この世のありとあらゆる“追跡者と被追跡者の関係にあるもの”が地球規模で追跡劇を繰り広げているような絵を思い浮かべていた。警官vs犯人(その中には、マエストロが練習中におっしゃった「銭形のとっつぁんvsルパンIII世」も)、ライオンvsシマウマ、有名人vsパパラッチ…、そういった定番の追跡劇に限らず、ソクラテスっぽい哲人の集団が顔の部分に「真理」と書いた1人の黒子を追っかけていたり、音楽室の肖像画のままのベートーヴェンやお馴染み頬杖ポーズのショスタコーヴィチ、耳に包帯を巻いたゴッホや、絵筆やら工具やら図面の束やらをどっさり抱えたダ・ヴィンチら芸術家衆が「美」と書かれた黒子を、それぞれの仕事着や普段着を着た“一般人”の集団が「幸福」の黒子を、あるいは、悪代官と腹黒あきんどのコンビが着ぐるみ姿の千両箱を、そして、ストップウォッチの着ぐるみがこの原稿を書いている私を…と、抽象的、普遍的なあらゆる追跡劇が地球狭しと繰り広げられている。また、Aを追っかけているBが別件でCに追われていて、そのCもDから逃げていて、さらにEが…と続き、Yを追うZをAが追っていて、全てが循環型の追跡劇になっていたり…。
編曲に関しては、上記のとおり、直感で譜面を書いた。決してショスタコっぽい響を追求したわけではないし、「もしショスタコが『追跡』をオケ曲として書いていたら…」というような想定もなかった。が、原曲がショスタコーヴィチだし、私自身が筋金入りのショスタキストなので、でき上がった編曲が“ショスタコもどき”の響を持っているのは仕方がないことかも知れない。実際、ダスビの同志たちも来場者アンケートも、「ショスタコらしくて違和感が無い」、あるいは「いまいちショスタコの響になってない」と、いずれにせよ“ショスタコーヴィチのサウンド”というモノサシを当てたコメントが多かった。 そんな中、さほどオーケストラ音楽に馴染みがないという友人が聴きに来てくれて、「アンコールは、私はシラカワデス!って音楽が言ってましたよ(*^○^*)ノ」というメールを送ってくれた。一番嬉しい感想だった。

3.スペシャル・サンクス
 原曲の譜面を提供してくれたくぼたくん、スコアとパート譜の清書を引き受けてくれたうえに度々の手直しに快く付き合ってくれたS氏、著作権協会へのヤヤコシイ事務手続を増やしてしまったライブラリアンH氏、また、素人の書いたスコアを愛情(義理?忍耐?)をもって“音楽”に導いて下さり、しかも私を一人の編曲者として常に意見を求め、それを尊重して下さったマエストロ長田には心から感謝する。(たかが掛け声にまで、「この「ハイッ!」はどういうハイなの?」と一旦聞いて下さったうえで、「僕の案なんだけど、高めの声で、少し長めに「ハァイッ!」で行きましょう」と路線を示して下さった)。賛助出演のピアノ&チェレスタのT田さん、ハープの東森さんと矢澤さんには、楽器の機能を無視したムチャな譜面を本番直前に送りつけ、シロウトのわがままに耐えて頂いた。そして、「ハイッ!」を含め、私の書いた音符を喜々として音にしてくれたダスビの同志にも、敬礼!(本番の舞台上では、指揮者が立たせてくれた際、思わず、客席にではなく、舞台上の同志たちに頭を下げまくってしまった。不作法を反省している)。
 一方、ショスタコーヴィチ大先生に対しては少なからずの罪悪感を覚えるが、彼は、ファンが「先生の作品を編曲してみました」とその稚拙な譜面を持って行っても、「くぉんなもん、ワシの音楽じゃぬぁ〜い!」とちゃぶ台をひっくり返すようなことはせず、「よくできてる。ありがと」と罪のない愛好家を傷つけないように気遣っていたらしい。もし、本番当日に彼が客席にいたら、一緒に「Хай!」と叫んでくれただろうか…。

4.ウルトラ・スペシャル・サンクス
 とにかく、皆さんのお陰で本番はノリノリの楽しい演奏ができたが(アンコール曲を2回も繰り返したのは、ダスビでも私個人のオケ人生の中でも初めてのことだ!)、特に頭を下げたい同志たちがいる。
 彼らは、コントラバス:U田課長はじめとする“とことん5番派”の人たちで、本プログラムの選曲時から、「今回のコンサートは、最後の最後まで交響曲5番の色に染め、お客さんにも5番の印象に浸りながらホールを後にして頂きたい」という意見を持ち、アンコールの選曲会議でも、「アンコールはやらないか、やるとしても5番のフィナーレの再演だ。少なくとも、5番の印象を消してしまうようなインパクトの強い曲は絶対に避けたい」と強く主張していた。(当日は、「ハイッ!」の掛け声を含むイケイケドンチャンの『追跡』によって5番の印象が薄められたというお客さんが多かったと思う)。でも、一旦『追跡』をやると決まった以上は、腹の底から「ハイッ!」を叫んでくれたのだ。“とことん5番派”の面々の寛容さに心からの敬意を表したい。
 今は、深夜の書類仕事のときのBGMは、ピアノの原曲のCDから、ダスビの練習の録音MDになっている。(「そんなんじゃ、無理やり会社の運動会に連れてこられたテンションの低い子供だよ」、「そこの木管は、モルト・アパッショナータ人形みたいに、目ぇ見開いて」、「じゃあ、2ハイで」…長田節も炸裂している)。ちょっとした贅沢だ。早く本番のCDをBGMに書類を書きたい。

 というわけで、CD制作を担当してくれたKさま、Mさん、Hくん、そして、録音のトラウムハウス佐瀬さん、冊子印刷の(株)文伸さん、本当にご苦労様でした。

by 「表現の自由」と著作権法の間で揺れ動くアレンジャー 白川悟志