革命に取りつかれたある少年の物語
 〜ショスタコーヴィチの交響曲第5番について〜


1.革命との出会い
 〜ショスタコーヴィチの第5交響曲との出会い〜
 私がこの交響曲の全曲を初めて聴いたのは、──それがショスタコーヴィチの初体験でもあったのだが──中学1年生、12の時だった。吹奏楽部に所属していた私は、夏の吹奏楽コンクールで他校がこの交響曲の第4楽章を演奏するのを聴き、「うおーっ、カッチョエエ曲じゃのぉ」と思い、豚の貯金箱を割…る度胸はなかったので、細長い投入口からコインを1枚ずつ、1,500円分ほじくり出して、C.シルヴェストリ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のレコードを買った。まだまだ中学生のこと、演奏の好き嫌いでレコードを選ぶほどのこだわりはなく、ただ、ジャケットの写真がきれいだという理由でこのレコードを選んだのだと記憶している。このショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ドヴォルザークの『新世界』交響曲、シベリウスの『フィンランディア』──どれも吹奏楽から入ったのだが──と共に、クラシック音楽の世界にどんどん魅せられていったあの頃のときめきを丸ごと思い出すくらいに、当時のめり込んでいた曲の一つだ。

 が、ショスタコーヴィチの5番には、『新世界』や『フィンランディア』、その他、吹奏楽部の先輩や音楽の先生がテープに入れてくれたいわゆる“名曲”とはちがう、「背筋が寒くなる音楽」という印象を持った。(今は、ショスタコーヴィチの音楽全般に同様の印象を持っている)。やがて、他の演奏のレコードのジャケットで、この曲には『革命』というタイトルが付けられていることも知った。当時の私は、この曲の持つ「背筋が寒くなる」雰囲気から、“革命”というタイトルを素直に受け入れてイメージを膨らませていたと思う。

2.革命への疑惑
 〜『革命』という呼称について〜
 この交響曲が『革命』と呼ばれるようになった由来は、1937年、ソヴィエトの革命20周年に書かれ、まさにその記念式典で初演されたということにあるようで、必ずしもこの交響曲の本質に由来するものではないらしい。ショスタコーヴィチの交響曲で作曲者自身が名付けていないタイトル、つまり呼称として、この第5番『革命』の他に、第7番『レニングラード』、第13番『バビ・ヤール』、第14番『死者の歌』がある。私たちダスビダーニャは、第7番と第13番を取り上げた際には、上記の呼称を受け入れたが、今回の第5については、かなり早い時期から「『革命』と呼ぶのはやめよう。チラシやパンフレットにも『革命』というタイトルは入れないようにしよう」という雰囲気が強かった。その理由として、某団員が曲目表記に関する議論の際にメールで書いたものがあり、私も全く同感なので、そのまま引用する。

 ──たとえば7番『レニングラード』を演るときに何をイメージしたかというと、レニングラードの街とその攻防戦をめぐる悲劇というだけでなく、それを題材にしてもっと普遍的なメッセージを伝えたと思っています(筆力が無いのでよくわからんと思いますが、ダスバーにはわかってもらえると思う)。
 同じように5番で考えると、、、人類に普遍的なメッセージがあるのは確かではありますが、それは「革命」???から生じるものとは違うんじゃないの???という違和感がなんとしても生じてしまいます。・・・(中略)・・・一般的な呼称というよりも、「ダスビとして観客に何を訴えるか」と考えると、「革命」はふさわしくない(一面を表しているのかも知れませんが、それによりメッセージが限られてしまう)という印象を受けます。──

 では、その「人類普遍のメッセージ」とは何か? 「人類普遍」ということは、どんな環境にいる人にも、どんな時代に生きる人にも共通して当てはまるものである。「生きる勇気」とか「困難に打ち勝つ強さ」とか「平和への願い」とか…そういう類の言葉に置き換えたとたんに安っぽくなってしまうが、でも、他に言葉が見当たらない。

 ちょうどこの文章を書いている頃、こういう事件が報道された。アメリカで狂牛病に感染した牛が発見され、アメリカ産牛肉の輸入が禁じられて間もなく、某スーパーマーケットがアメリカ産牛肉に「国産牛」の表示を付けて販売したのだ。産地偽造を指示した経営者だか店長だかは、「生き残るために仕方なくやった」と言ったそうだが、実際問題、自分の家族や従業員の家庭を守るために、迷いに迷った挙げ句の犯行だったのかも知れない。言い換えると、世の中に起こる犯罪(法律上の犯罪だけでなく、広く道義上の犯罪も)とは、究極の岐路に立たされた人間の、悩み、迷い、葛藤の産物であり、犯罪の数だけ、いや、それ以上に、人間の世の中には究極の岐路があるということだ。人間、誰でもそのような岐路に立たされると、“本来の自分”を見失ってしまいがちである。私だって、正直なところ、“自分”を貫けるか、一時的に“自分”を捨てる(魔が差す)かは自信がない。スタリン独裁政権下のソ連では、保身のために他人を無実の罪で密告したり、真実や本音を隠すということが横行したらしいが、常に究極の岐路に立たされ続けていた多くのソ連国民は、どれが“本来の自分”なのか分からなくなっていたのかも知れない。

 この交響曲は、他のショスタコーヴィチ作品と同様、ソ連の一般聴衆から熱狂的な拍手を送られ、大成功を収めた。“自分”を見失うほどの恐怖を強いられていた一般国民には、同じ恐怖を味わっていたショスタコーヴィチの交響曲が持つ「人類普遍のメッセージ」がしっかりと伝わったのだろう。

3.人類普遍のメッセージを求めて
 〜第5交響曲が放つメッセージ〜
一方、この交響曲は、ソ連政府からも「正当な批判に対するソヴィエト芸術家の回答」として承認され、ショスタコーヴィチがソ連の楽壇に返り咲くきっかけにもなった。(この曲の発表の2年前、ショスタコーヴィチは、オペラ『ムツェンスクのマクベス夫人』に対して、政府から「こんなものは音楽じゃない。荒唐無稽で耳が痛いだけの騒音だ。このまま行くと、作曲者は“好ましくない結末”に至るであろう」という内容の、事実上死刑判決にも相当する公式な批判を受けていた)。

 ソ連政府は、この交響曲に、ベートーヴェンの第5交響曲『運命』と同じ「苦悩→闘争→勝利」という構図を見出し、それをそのまま社会主義の歩みの構造として曲解し、この“ソ連の第5交響曲”を、世界に向けて社会主義のPRに利用できると考えたらしい。

 当時の私も、難しい論文は読みこなせないなりにレコードの解説を読み、「そうかぁ、この曲は、ベートーヴェンの『運命』と同じ構造なんだぁ。それでこの曲は名曲なんだぁ」と納得していた。一応私も、ベートーヴェンの『運命』の全曲は知っていたが、双方を繰り返し聴くうちに、やはりどう聴いても両者が同じプランに基づく交響曲だとは思えなくなった。ベートーヴェンのほうは、「勝利」に当たるであろう最終楽章を聴くと、何か喜ばしい気持ちに満たされるが、背筋が寒くなるショスタコーヴィチの第5のフィナーレを聴いても、依然「苦悩、闘争」が続いているようで、最後の最後にやっと現れるニ長調のファンファーレが、何か取って付けたような不自然なもののように感じていた。当時は、「まだ僕には理解が足りないんだ」と思い込んでいたが、この頃から持ち続
けていた「不自然な長調」というイメージが、後に「強制された歓喜」という言葉と出会ったときにスーっと納得できたように思えた。

 「強制された歓喜」…ショスタコーヴィチが、後年、第5交響曲についてこう語ったとされている。

 ──終楽章は、“強制された歓喜”だ。「さあ、喜べ。それがおまえらの仕事だ」と鞭打たれると、人々はふらふらと立ち上がり、「さあ、喜ぶぞ。これが俺たちの仕事だ」と、鎖を巻きつけられた足を引きずって歩き始めるのだ。──

 この発言の真偽は明らかではないようだが、それでも、私が最後のファンファーレの部分に感じていた「不自然な長調」という印象が裏付けられたと共に、この曲全体から受ける「背筋が寒くなる」ような印象が、革命の単なる戦闘シーンのイメージに由来するものではないことを確信し、「私は、この曲への理解が足りなかったわけじゃなかった。むしろ、レコードの解説を書いている学者先生よりも理解していたんだ」と意を強くした覚えがある。

 「人類普遍のもの」とは何か、そして、ショスタコーヴィチの第5交響曲が現在および未来の全人類に宛てて送るメッセージとは何か、それを言葉にするのは難しいし、そもそも、言葉にできてしまうものなら音楽は無用になってしまう。ショスタコーヴィチの創り出した“音”、そして、その“音”に込めた私たちダスビダーニャのメンバーの“思い”に耳を傾けて頂き、皆さんが御自分で感じ取って頂ければと思う。

4.革命を振り返って
 〜全曲の概観〜

以下、全曲の概観である。「曲目解説」というアカデミックであるべき文章の執筆者にはあるまじき態度かも知れないが、クラシック音楽に魅せられ、知らない音楽や新しい知識に出会うことが楽しくて楽しくて仕様がなかったあの頃を懐かしみつつ、筆を進める非礼をお許し頂ければと思う。

第1楽章:まず、怒っているような、あるいは絶望したような序奏が掛け合い(カノン)で奏され、すぐにヴァイオリンに第1主題(1) が現れる。この第1主題は調が安定せず、実際、非常に不安な印象を与える。中低音のリズムに乗ってやはりヴァイオリンに現れる息の長い第2主題(1) は、第1主題と同様に調がたえず移動し、「こんな淋しい感じのメロディーを聴くのは初めてだ」という印象を持った。やがて、低弦とピアノの踏みつけるようなリズムに乗って、ホルンとトランペットが第1主題を変奏する。「ピアノがオーケストラの中で伴奏パートを?!」「トランペットがこんなに低い音域で旋律を?!」…と、個々の楽器の使い方にも驚かされたが、とにかく、クラシック音楽に抱いていた「上品で洗練された」といったイメージとは正反対の音響に、一種のカルチャーショックを受けた記憶がある。次第にテンポが上がり、特に「タッタカタッタカ…」というリズムが非常に印象的で、これまでの「不安」「粗野」といった印象に加えて、「カッコイイ」という印象も強く持った。テンポも音量もますます上がり、勢いよく登りつめたところで、他の“名曲”みたいに全オーケストラで大迫力のクライマックス…と思いきや、突然、打楽器群と一部の低音楽器のリズムだけを残して音が無くなり、トランペットが「この作曲者、ふざけてるのか!」と思ってしまうくらいに“変な”旋律(これも第1主題の変形だが)を吹き鳴らす。嫌でも「軍隊の行進だ」と思わされるこの部分は、音楽上の一ジャンルとしての軍隊行進曲──“戦争”のイメージから切り離された、さわやかで勇ましい曲調のマーチ──とは明らかにちがう、“戦争”“武力”“虐殺”…を露骨に象徴している醜悪な音楽のように思える。その後、音楽はますます狂暴化し、「音が間違ってるんじゃないか?」と思うほどの大胆な不協和音が、息苦しくなるくらいに濁ったサウンドを放つ。金管が吠えるように第2主題を吹き、それに続いて、涙を絞り出すように第1主題を絶叫する。その後、木管楽器のソロを中心とした静かな部分にほんの少しだけほっとさせられるが、またまた不意を衝かれるようなサウンドに包まれる。フルート、ピッコロ、ソロ・ヴァイオリンが奏でる第1主題の断片をハープやチェレスタが彩るが、例によって調が不安定なうえに、旋律と伴奏の調が必ずしも一致していないので、これらの楽器に通常抱かれる「澄んだ響き」「メルヘンチック」といったイメージとはちがう、幻想的で悪夢を見ているような雰囲気に包まれ、釈然としないまま、レコード針は次の楽章に進む。

(1) 専門家によっては、冒頭の序奏の旋律を「第1主題」と捉え、後のテーマを「第2主題」、「第3主題」として解説されていることもある。

第2楽章:リズム的には「ワルツ」と言っていいのだろうけれど、軍服を着て銃を持った兵士たちが、一糸乱れず、足を水平まで上げる例の歩き方で、なぜかワルツ・ステップを踏みながら軍隊行進をしているような、非常に骨太で、しかもどこか滑稽な印象を受ける。一方、最初に現れる高音クラリネットのメロディーは、すごくチャーミングでどこかセンチメンタルで、「本当は死ぬのが怖い! 人を殺すのも嫌だ!」と上官に隠れてこっそり泣きじゃくっている兵士の人間味を感じさせる。

第3楽章:ほとんどのレコードはここでB面に返すことになる。私は基本的にテンポの速い軽快な音楽が好きで、特に中学生の頃は、交響曲や組曲のレコードを聴くときも遅い楽章はよく飛ばして聴いていた。が、この第5の3楽章は、遅くて長いうえにお目当ての金管楽器の出番も全く無いのだが、かなりじっくり聴いていた記憶がある。好きで聴いていたというよりも、この音楽があまりにも切実で、子供ながらに、クラシック愛好家ならこの楽章を割愛して聴くなどという不謹慎は許されないといった神妙な気持ちで、スピーカーの前に座っていたように思う。(そう言えば、第1楽章も、盛り上がる中間部を除く大部分が遅くて重々しいが、引き込まれるように聴いていた)。張りつめたような弦楽合奏の「悲歌」の部分の後に、各木管楽器のソロで切実に語られる「モノローグ」の部分が続くが、まるで、悲惨な事件現場の映像が流された後に被害者が一人ずつ心中を語るような、息をつかせないドキュメンタリーのようである。「悲歌」と「モノローグ」が一通り終わると、各々変奏されてもう一度現れるが、「悲歌」は、規模は小さくなっているもののより深刻になっており、また、「モノローグ」のほうはより感情が高ぶってクライマックスを作っている。さらにもう一度ずつ、「悲歌」と「モノローグ」が変奏されて現れるが、もはや力はなく、特にハープとチェレスタに語られる「モノローグ」のほうは、やり切れないほど美しく、悲しい。

第4楽章:冒頭から、ティンパニのリズムに乗って金管楽器のマーチが現れるが、勇猛で力強く、ただただ「かっこいい!」と思った。私はこれを吹きたくてトランペットを始めたと言っても過言ではない。音楽はさらにテンポを上げてゆき、激しさも増し、一気にクライマックスに達する。その後、静かで緩やかな中間部になるが、この部分の後半にヴァイオリンとハープで現れる波のような音形について、第5交響曲のすぐ前に書かれた歌曲、『プーシキンの詩による4つのロマンス』の中の『復活』(2) に現れる伴奏音形との類似が指摘されている。やがて、打楽器のリズムに乗って、今度は木管楽器が冒頭のマーチを再現する。冒頭とは全く雰囲気が変わっていて、先に“強制された歓喜”について述べたように、「鎖を巻きつけられた足を引きずって歩き始めた」感じがする。少しずつ楽器が加わって音量も増してゆき、最後は、金管楽器が冒頭のマーチのメロディーから生まれた輝かしいファンファーレを高らかに演奏して終わる。いつか、本物の“勝利のファンファーレ”として演奏されることを未来のオーケストラに託すかのように、そんな願いを込めて、ショスタコーヴィチはあえて不確定要素の多いスコア(3) を遺したのかも知れない。

(2) その詩の内容は、「野蛮人が天才の描いた絵を塗りつぶしても、いつかその落書きははげ落ち、天才の絵はよみがえる。私はそう信じて、自分の仕事に取りかかる」というもの。ショスタコーヴィチが、自分の楽譜に余計な“落書き”が添えられることを覚悟し、いつかはその“落書き”がはげ落ちることを確信していた、という想像も可能だ。

(3) 最後のファンファーレの部分のテンポについて、諸説がある。主な説は、「四分音符=188」説、「四分音符=138」説、「八分音符=188」説と、最も速いものと最も遅いものとの間には倍の差がある混乱ぶりだ。近年、当団が指導を仰いでいる金子建志氏が、この曲の初演の指揮者であり、作曲者からその筆写譜を献呈されたムラヴィンスキーのスコアを調査したところによると、「四分音符=88」という非常に遅いテンポが指定されていることが判明した。(今回の私たちの演奏は、この最後のテンポをはじめ、譜面上の諸々の疑問については、基本的にムラヴィンスキーが使用した譜面を念頭に置いている)。が、これはあくまでも“筆写譜”であって、最終的な解決とは言えない。もっと謎なのは、作曲者自身が、生前からこのファンファーレの部分についていろんなテンポが氾濫していたにもかかわらず、それを放置したことである。

(白川悟志)


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